通リハだより 9月号

8月の終わりに 初の試みとして

「お話レク」を行いました。

「お話レク」とはテーマを一つ設けて、それに沿ってグループ毎にお一人お一人の思い出を話していただく

といった内容で、今回提示したテーマは「学校」「仕事」「終戦の日」の3つでした。

仕事に関しては、やはり農業、畜産について語る方が多かったですが、中には

「東京の地下鉄を掘ったのはわしじゃ」という方や海外に仕事に行ったという方もいらっしゃいました。

学校については、「子守をしながら通った」「お弁当が日の丸弁当だった」等、懐かしんで話していらっしゃいました。

最後に「終戦の日」について語っていただきましたが

話の内容を聞くにつれ「こんなに身近で、、そんなに悲惨なことが起こっていたのか」と

身震いがしました。

そのいくつかを紹介したいと思います。

「運動場で校長先生が天皇陛下のお話がある、とラジオで聞いた。みんなで涙した。2週間くらいしてアメリカ人の

進駐軍がきて、どんなことをするのか怯えていたがチョコレートや飴をくれた。アメリカ人は背が高く、目が青くて日本人が

本当に人間のようにみえた。アメリカ人はかっこいいなあと思った。親切だった。これじゃあ日本は勝てんわ、と思った」

「退避した場所にみんな集まれと言われ、会場に行ってラジオから流れてくる天皇陛下の言葉を聞いた。その時ホッとした」

「しなで日本の兵隊が悪いことをしている、負けたらどんな目にあうかわからないと思った。負けても兵隊が戦うだろう、と

人が話していたのを覚えている。」

「陸軍で岐阜に志願して兵隊としていっていた。そこで飛行機の整備、試運転を行っていた。日本が負けたと知って

当然だ、と思った。アメリカとの武器の違いを知っていたからだ」

「戦争に兵隊として佐世保にいた。台湾に行く予定だった。そこで原爆の煙を見た。原爆にやられた人が灰色になって

電車で運ばれてきていた。人か何かわからんかった。駅にはそういう人でいっぱいになっていた。それでも負けたと聞いて

がっかりした」

「中国にいた。天皇陛下の声はラジオがガーガー言って聞こえなかったけど、負けたんやなあ、というのがわかった。

兵隊さんは自決する人がいた。青酸カリを一人ずつもらったが、飲めなかった。」

これらの話を聞いて、グループ発表するのですが、涙ぐむ職員もいました。

中には「当時の記憶がない。思い出したくないから話をしなくてもいいですか?」といった方もいらっしゃいました。

もちろん無理に話す必要もないのですが、その言葉そのものが戦争というものの悲惨さを伝えているのではないか、

ということでそのままの言葉を発表させていただきました。

こういう機会がなければ知り得なかったこと、戦争は本当に身近で起こっていたんだという事実。

これから体験した人が少なくなる後生に伝えていかなければいけないことを学んだ気がしました。

またでも、いろいろと思い出していただくにはいい機会かと思いましたので、いつかこういう時間を

設けたいなと思います。

通所リハビリテーション 佐藤(三)

(医)新生会 福島病院 TEL 0974-2-3321

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